1965年コロラド州ボールダーで開かれた会議で、予測される太陽光の小さな変化が、どのようにして氷河期を引き起こすのかに関する憶測を、ミランコビッチサイクルを支持する証拠が招いてしまった。また1966年にはチェーザレ・エミリアーニ (Cesare Emiliani) は「新しい氷河期が2、3千年以内に始まるだろう」と予測していた。さらに1968年にはポール・R・エールリッヒは自らの著書「人口爆弾 (PopulatioBomb)」の中でこのように書いている「二酸化炭素の量が大変に多くなることによって、現在温室効果が高まっているという。…しかし、その効果は、飛行機雲や塵やその他の汚染物質によって生み出される雲の量が減ることで打ち消される。…そのとき、私たちが大気をごみ廃棄場のように使ってきたことが、全体にどんな気候的結果をもたらすかを私たちは予測できない。
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寒冷化の懸念は1970年代前半がピークとなった。これは、寒冷化の傾向が明確であった点(1945年から寒冷期が始まり、寒冷期の20年は、何十年かの温暖期の後に最低気温に達することを示していた)や、世界の気候や氷河期が起こる原因に関して知識が無かった点が原因である。寒冷化の傾向があったにもかかわらず、気候学者はこの傾向にも続いた予測が不可能であることを完全に承知していたことに気がつくべきであった。なぜなら、この傾向はあまり研究されておらず理解もされていなかったためである(例:[6]を参照)。しかし、一般紙においては、寒冷化の可能性が科学者の報告による注意なしに報道されていた。
地球寒冷化の用語は地球温暖化の語が一般に広まるまでは、氷河期の危機への懸念と結びついたものにはなっていなかった。1970年代に地球半分もしくは全体の気温の記録の統計が始まった。
地球温暖化の発見の歴史では、以下のように述べている。「科学者も大衆も、1970年代には地球が温暖化するか寒冷化するか分かっていなかった。しかし、人々は、地球の気候が変化しつつあり、それが少しの幅ではないということを徐々に信じるようになってきた[7]」。
1972年、エミリアーニは次の様に警告した。「人々の活動は新たな氷河期の発生を早めるか、冠氷の相当な量あるいは全てを溶かす状態になるだろう[8]」。1972年に、氷河期に関するエキスパートの集団の会議において過半数が、「温暖期の終わりは間違いなく近い」と合意した[9]。しかし、この会議における第四紀の研究報告では、「この部会における議論の基本的な結論として、気候の変化のメカニズムを理解するために必要な知識が残念なことに不十分である」と述べている。将来の人間の活動によるインパクトがあっても、致命的な寒冷期が「次の数百年もしくは数世紀必ず訪れる」と考えていた。しかし、他の多数の科学者はこの結論を疑っていた。